この仕事慣れたと思ったときに、それをヤバいと思うか思わないか

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こんにちは、ライターの花房です。
こまりに入社して5カ月が経ちました。今まで経験したことのない仕事はまだまだ多いですが、入社当初から比べると仕事にも慣れ、中には同じようなことの繰り返し、いわゆるルーティンワークになっているものも正直あります。でもそれって、いいのだろうか? 仕事ができるようになるってそういうこと? と気になったので今回は「慣れ」について考えていこうと思います。

守破離的な考え

私の考える「慣れ」とは、型を身に付けることです。どんな仕事においても、まずは型を知ることが大切だと思っています。茶道や武道などの世界では守破離という言葉があったりしますね。この思想は、あらゆる仕事に当てはまると思いますし、私自身最近よく意識している考えでもあります。たとえば文章を書くにしても、型があります。これは守破離でいうと、「守」の段階ですね。論理的に文章を展開するための「型」としてよく知られているのが、序論・本論・結論の三部構成にするというもの。簡単にご説明します。

序論は本文までの導入部であり、読み手を引きつけ、本論へスムーズにつなげる役割があります。本論は、序論で提起した問題に対して具体的に話を展開していく部分です。そして最後に結論として、文章全体を通して何を伝えたかったのかをまとめていきます。

一般的に、上記の流れを意識して文章を書いていくと読み手に伝わりやすい文章になるとされています。よってこの型を理解せず、思いついたままに書くと、本来の目的である「読み手にきちんと伝える」ことがままならなくなります。私もブログ記事を書く際には、書きたいことをざっくり書いた後に、必ず見直して文の並びを整理したり、不要な部分を削除したりという作業をしています。

家を建てるときにまず設計図を書くように、料理を作るときにレシピがあるように、目的地に最短距離で確実に到達するためには道しるべがあった方が絶対いいですよね。その道しるべが見えないままに、最初から我流を貫くのは少し違うのかなという気がします。我流を貫くのは仕事のやり方に慣れ、型を身に付けてからが鉄則だと思います。そういう観点でみると、慣れることは悪くなく、むしろ良いことのように思えてきます。なぜなら、慣れは型が身に付き、道しるべが見えた状態だといえるからです。

その状態までくると次は、「破」の段階です。先ほどの例のように序論・本論・結論という型があったとして、必ずしもそのすべてを文章で書き表す必要はありませんよね。読み手に正確に伝えることを目的とするならば、画像や映像で示した方がよいかもしれません。結論を最初に持ってくるなども考えられます。型を十分に理解したうえで、さらにより良い型を見つける。既存の型を破るわけです。

そして最後に、「離」。その型からも離れて新しい流派を生み出すということですね。少し前にSNSでバズった、奈良新聞に掲載された「クリーニング モリ」の全面広告などはまさにそれだと思います。

では、型を身に付けたとして、その先の型を破るためにはどうすればよいのでしょうか?

自分の感覚に敏感であれ

先日とあるフォーラムで、幻冬舎・編集者の箕輪厚介氏がこんなことを言っていました。

自分の感覚に敏感でいることが大切。自分の感覚がサビ始めるのが怖いので、飽きたと思ったらルーティンでやらないように意識している。

箕輪氏は、2万部売れたら大ヒットといわれる昨今において、編集した書籍が平均10万部も売れるヒットメーカーです。その彼がなぜ次々とヒット作を世に生み出せるのかが、この言葉に集約されている気がします。そして型を破るためのヒントがここにあるのではないかと考えました。

大前提として、当たり前ですけど現状に満足していたらダメなんですね。私自身飽きたと感じていながらも、そのまま惰性で「でもこれやらないといけないしな」と思って仕事をすることがありました。でもそうしていくうちに、飽きたとすら感じなくなって何の感情も抱かなくなっていく……。やらされ感MAXの仕事ほど苦痛なものはないですよね。こんなことが積み重なっていけば、何にも考えられない人間になってしまうという恐怖。そういうことなのだろうと思います。

それから考え方を徐々に改めるようにしました。私は自社で販売している商品の説明文などを書くことがありますが、類似商品だとどうしても似たような文章になってしまいます。つまりルーティンワーク的な作業になりがちでした。そうならないために、今まで使っていた表現を少し変えたり、見直したりするように意識しています。もちろん時間には限りがあり、かける時間に値する成果を生み出せなければ良い仕事とはいえないので、ほんの少し変えるといった感じです。しかしそれだけでも、改善できるところはないか意識しながら取り組みことで、慣れの仕事から一歩踏み込んで、型を破るきっかけを掴む可能性を広げてくれます。無の感情の中からは決して何も生まれてこないはずですからね。

いろんなことをやってみる

そのようにしながら、飽きたと思うときがくるまでやり切ったら、思い切ってその仕事をするのをやめる、もしくはやり方を全く変えてしまうのもありなのかもしれませんね。箕輪氏の言う、「自分の感覚がサビ始める」前にです。

そのために今私が意識的にしているのが、いろんなことをやってみるということです。現時点では、敢えて「慣れ」から遠ざかるように常に切羽詰るくらいまで多くのものを詰め込んだ方がよい気がしています。現に訳の分からないままいろんなことに首を突っ込んでいる私ですが、それができるのはとてもラッキーなことだと思っています。その経験が生きる時がくると思えば楽しいですしね。とにかく今はさまざまな経験を自らやりにいく。あれもこれもやってみる。そんな具合が成長においてもプラスに働くのかなと思います。ご存じのとおり、ルーティンワークと呼ばれるほとんどの仕事はいずれ機械がやるようになります。私たちはせめてこの40年50年の間では機械では太刀打ちできないようなクリエイティブな仕事をやっていかなくては生き残れませんからね。

「慣れ」は大事だけど……

結論として、「慣れ」はとても大事なことだけれども、同時に成長を阻害するものでもあります。慣れたと思ったら、その仕事に対する見方ややり方を意識的に変えるべきだと思います。そうしないと本当に抜け出せなくなりそうな気がしませんか。成長するためは「慣れ」からの脱却が必須です。ここまで読んでいただいた皆さんの中に何かひとつでも引っかかるものがあれば幸いです。私個人的には慣れない仕事を敢えてもっと増やすことを今年の目標として掲げ、今後も楽しく仕事をしていこうと思います。